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諏訪神社 (摂・末社)の由緒
大國神社(摂社)・談山神社(末社)
御祭神
大国主命(オオクニヌシノミコト)
藤原(中臣)鎌足(フジワラ(ナカトミノ)カマタリ)公
御神徳
合格祈願、学業成就、五穀豊穣、技芸・芸能向上、子育ち


腰掛天満宮(末社)
御祭神
菅原道真(スガワラノミチザネ)公
御神徳
合格祈願、学業成就、五穀豊穣、技芸・芸能向上、子育ち
創建時期
宝暦年間(西暦1751~1764年頃)
由緒
延喜元年(西暦901年)道真公、大宰府配流の道中、藤井寺道明寺の伯母君に挨拶する前に、当社に立寄り、諏訪明神に礼拝・祈願し、村名を「左遷道(させんどう)」と命名。(後に、「左専道」→「諏訪」と命名された。)
当社殿は昭和51年3月の御本殿造営の際、旧本殿である現天満宮を現在の場所に移設した。
菅公腰掛石
由緒
道真公、大宰府配流の道中、藤井寺道明寺の伯母君への挨拶前に、当社に立寄り、諏訪明神に礼拝・祈願のために、休憩時に座られた石。
元々は当社前の道沿いにあったが、腰掛天満宮の前に移設されている。その姿形は、菅公の棺を曳いた「牛」の形になっている。


春宮神社(稲荷社)(末社)
御祭神
高志沼河比売命(コシヌナカワ)
猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
御神徳
五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒、健康祈願、技芸・芸能向上、金運上昇、人生の道開き、開運、魔除け、縁結び、子授かり、安産


玉長社(末社)
御祭神
御井神(=木俣神)(ミイノカミ)(=キマタノカミ)(大国主命の御子神)
御神徳
子育ち、長寿
招魂社(末社)
御祭神
明治維新前後、以降に国家の為に殉難しお亡くなりになられた方々
御神徳
国家鎮護


御神額(大鳥居)
由緒
道真公、大宰府配流の道中、藤井寺道明寺の伯母君への挨拶前に、当神社に立寄り、諏訪明神に礼拝・祈願し、諏訪大明神が身の行く先を助け導くと聞き、御神号の額を一面奉納された。
現存する御神額は道真公の御真筆を模った鉄製のもので、大鳥居に掲げている。
遥拝所
伊勢神宮に向って、祈願するための場所


御神木(銀杏)
樹齢400年強の雌の銀杏。境内樹木の中で一番古い御神木。参拝者は、全ての厄、悪欲を吸収してもらう為、御神木に触れている。
もう一本の御神木(楠)と根同士が繋がっており、吸収した厄や悪欲は、病気治癒、軽快の為の御神威に変換され、その御神威は御神木(楠)に送り込まれている。
御神木(楠)
樹齢100~200年の楠で、御神獣の姿が3体現れている御神木。
御神獣は、「鹿」、「龍」、「猿」が現れている。
「鹿」は、諏訪大社上社の御頭祭で御供物とされている。
「龍」は、諏訪明神や眷属の神々のお姿であるといわれている。


「猿」は、豊臣秀吉公のお姿であるといわれており、お顔は大阪城を向いている。
御神木(銀杏)から、根づたいに病気治癒、軽快の為の御神威を受取り、 病気やケガなどを患った参拝者が御神木に触れた際、その御力を授かる。ただし、病人やけが人でない者が触ると、出来物が出たり調子を崩したりするので健常者は触らないようにしなければならない。
御神池
昭和 年に、コンクリ-ト製の現在の御神池を建立。
淡水魚(鮒、鯉、金魚)100匹以上、亀も40匹以上が存在している。
龍神井戸
令和2年に、御神池の渇水対策として建立。参拝者や身体的・距離的に参拝が困難な方の、病気平癒や厄除・災難除けのための清祓水(きよばらいみず)として持ち帰られるように、手押しポンプも設置している。地下4メ—トルから、井戸水は尽きることなく大量に湧き出ている。飲用は不可。
丸型手水鉢
菅原道真公の子孫である平直貞(たいらのなおさだ)が代官(役人)として、着任以来当社を深く尊崇され、享保2年(西暦1717年)に法華経八巻と共に奉納された。
石灯篭(境内構造物の中で最も古い)
「承和3年(836)4月奉寄進」と刻まれていることから、少なくとも1200年以上前から、当社が創建された証明のもとにもなっている。
内鳥居
氏子である、大西貴男・為雄が、昭和17年6月に大西為吉の喜寿記念として建立「納 皇威輝紘」の文字は、有馬 頼寧(ありま よりやす)の書


宝物(掛軸)
作者
千家 尊福(せんげ たかとみ」
(1845年9月7日生~1918年1月3日没)
宗教家
第80代出雲国造、出雲大社宮司、神道大社教菅長(初代)
政治家
元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)
実業家
東京鉄道株式会社社長
爵位:男爵
位階:正二位
勲等:勲一等旭日大綬章

